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(奨励)社会的弱者に対する洗礼者ヨハネの眼差し [奨励]

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2024年12月15日、日本聖公会の聖餐式等で行われる福音朗読は、ルカによる福音書3章から抜粋された「洗礼者ヨハネとの問答」です。

きょう、聖餐式で行われた福音朗読の中で「徴税人や娼婦たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入る」という言葉がありました。これはマタイの箇所なのですが、ルカでは「徴税人と罪人」という表現になっています。すなわち、娼婦は罪人という「隠語」になっているのがギリギリなのですが、マタイのような道徳重視の福音書としては、異例の表現となっています。

さて、洗礼者ヨハネのもとに徴税人や兵士が集まってきて、差し迫った神の怒りから免れるためにはどうすればよいかと質問します。これに対し、法に触れるようなことは避け、規定の収入で満足しなさいという至極当然の答えが返ってきますが、逆に言えば、決まりが守られていないのが現実だったということです。私は、徴税人や兵士だけではなく、娼婦もヨハネのもとに来ていたと考えます。しかし、娼婦のような社会的弱者に今の収入で満足しなさいでは福音になりません。

彼女たちにとっては、ヨハネを通した、神の言葉のみがすべてだったのです。では、ヨハネはどのような福音を語っていたのでしょうか。具体的には残されていませんが、主イエスが語った説教の中に、共通するものがあると考えます。例えば、
「貧しい人々は、幸いである
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は幸いである
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである
あなたがたは笑うようになる。」
というようなことを語っていたとしたら、娼婦にとって、慰めの言葉であったと思います。

では、娼婦は、どのような境遇にあった人々なのでしょうか。夫と結婚して、幼子に恵まれたものの、夫が病気や戦争などで他界し、シングルマザーとして生きて行く他なくなってしまったとします。当時は、女性が職業を持って自立することは難しく、売春をして暮らしを立てる他ありませんでした。望んでそうしているのではなく、泣く泣くやっていることなのですが、世間からは、口にするのもおぞましい存在でした。

彼女たちにとって、今泣いている人々は幸いである、神の国はあなたがたのものであると、ヨハネのような尊敬すべき宗教指導者から語られた言葉は、どんなに救いであったことでしょう。マタイは、祭司長たちよりも、娼婦たちのほうが、ヨハネが示した正義に忠実であったと記しています。そのことからも、ヨハネの周囲には、多くの娼婦が集まっており、預言者は彼女たちを蔑むことは決してなかったということです。

とかく、ヨハネは厳しい人物として描かれていますが、実は社会的弱者に対する眼差しは優しいものであったことを、マタイの異例の表現から知ることができます。
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