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(奨励)福音書の冒頭に来るのは「洗礼者ヨハネの福音の初め」である [奨励]

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2024年12月22日、日本聖公会の聖餐式等で行われる福音朗読は、ルカによる福音書1章から抜粋された「マリアの賛歌」の物語です。

マリアの賛歌の後半は、裁きの言葉で満ちており、女性の言葉としては違和感があります。しかし、これを洗礼者ヨハネのものだとするならば、受け入れやすくなるのではないでしょうか。

思い上がる者を追い散らし
権力ある者をその座から引き降ろし

という箇所は、ヘロデ・アンティパスのことを想い起こします。彼は結局、悲惨な死を遂げることが使徒言行録に記されてあります。

また、主イエスに随伴した女性の中に、ヘロデの家令クザの妻ヨハナがいますが、ヘロデの身内から主に従う者が出ていたことは、洗礼者ヨハネの影響が大きかったことをうかがわせる記事となっています。マグダラのマリアやスサンナとともに、ヨハナが持ち物を出し合ったという表現からすると、彼女たちが資産家の出身であることも暗示しており、マリアの賛歌の

富める者を何も持たせずに追い払い

に反応したことをうかがわせるものです。このことも、ヨハネの影響によるものだと私は考えます。

マグダラのマリアが、罪深い女で娼婦だったという俗説がありますが、彼女が金持ちだったとすると、そのようなことはありえず、七つの悪霊を追い出してもらったという記事も精神障害を指すのではなく、夫や財産を投げ出す覚悟を示しているのだと思います。このように、マリアの賛歌をヨハネによるものだと想定すると、別の光景が浮かび上がります。

今から後、いつの世の人も
私を幸いな女と言うでしょう
の女を下僕であるヨハネと置き換えると、非業の死を遂げたヨハネですが、彼の業績は、永く残っている事実と符合します。

ヘロデの家令のクザの妻ヨハナは、主イエスの復活の証人の一人となっており、ヘロデ王の地位や振る舞いとは対照的です。このように、女性の「でし」たちの召命を具体的に記述しているのは、ルカのみです。

マリアの賛歌が洗礼者ヨハネのものだとすると、ザカリアの賛歌も彼によるものだと想定できます。両者に共通するのは、「アブラハム」に対する言及です。神とアブラハムの契約に当たって、割礼がしるしとなりましたが、これが洗礼に代わったことは、キリスト教を普遍的なものに大きく変えたことからすると、ヨハネの功績を称える表現とも言えます。

これらは仮説に過ぎませんが、ルカ3:18にヨハネが「民衆に福音を告げ知らせた」とありますが、その内容が何であったかを想像するとき、賛歌などはいろいろな素材を提供していると思います。

マルコの書き出しが「神の子イエス・キリストの福音の初め」の直後にヨハネの物語が続く意味では、「洗礼者ヨハネの福音の初め」と言って差し支えないのです。
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